徐霞客とともに―徐霞客遊記訳注―

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○徐霞客と徐霞客遊記

 徐霞客(1586~1641)、名は弘祖、字は振之、霞客は号の一つ。江蘇江陰の人。地域の名家であったが、彼自身は科挙の試験を受けなかった。しかし、黄道周や銭謙益といった当代一級の文人達とは交流があり、評価されいてた。若いときから地理が好きで、中国各地を旅すること、17回が確認されている。没年の三年後に李自成が北京を落とし、崇禎帝は自殺して明は滅亡した。徐霞客は明朝最末期の人と言える。
 徐霞客は、「徐霞客遊記」と呼ばれる旅遊日記を残しており、現存するものは10巻でおよそ60万言。第1巻所収の諸篇は彼自身の校訂を経ているだろうが、第2巻以降のものは、彼の死後、友人などの手によってまとまられたものだが、一部は散逸した。初めて刊行されたのは、清朝の乾隆41年(1776)。文人墨客が行う詩文作りなどはなく、ほぼ客観的な観察と描写に終始している。特に山岳と洞穴は可能な限り訪ねている。
 第1巻は、「名山遊記」とも称され、1607~1633年の間に訪れた、全国の諸名山等の旅遊日記。数日間のことを記した比較的短編のもので、17篇。
 第2巻から第10巻は、「西南遊日記」とも称される。1636~1640年の間、故郷の江蘇江陰から出発し、浙江・江西・湖南・広西・貴州・雲南を経巡った旅遊日記。記述は詳細を極め、ほぼ途切れることなく書き続けられている(「滇遊日記一」は、ごく早い段階でなくなった)。


 本訳注は、褚紹唐と呉応寿の整理による「上海古籍出版社本」(1980)を底本に、諸書を参照した。
 第1部として、全文通した口語訳を掲げる(訳ができ次第、随時追加)。
 第2部として、各篇ごとに訳注を掲げる(訳注ができ次第、随時追加)。
 名山遊記は、各篇ごとに作成した。西南遊日記の各篇は、長大なため適宜分割して、訳出した。

第1部 全訳

徐霞客遊記全訳

第2部 各篇訳注

名山遊記

                   
巻一上 遊天台山日記  旅行記  遊雁宕山日記    遊白嶽山日記    遊黄山日記    遊武彝山日記   
  遊廬山日記   遊黄山日記 後    遊九鯉湖日記           
巻一下 遊嵩山日記  旅行記 遊太華山日記    遊太和山日記    閩遊日記 前    閩遊日記 後   
  遊天台山日記 後    遊雁宕山日記 後    遊五臺山日記    遊恒山日記       

西南遊日記 

                   
巻二上  浙遊日記 凡例と地図    浙遊日記 第1部    浙遊日記 第2部 遊金華山日記 旅行記  浙遊日記 第3部      
  江右遊日記                  
巻二下  楚遊日記    
巻三上  粤西游日記一 1     
巻三下  粤西游日記二 1     
巻四上  粤西遊日記三 1     
巻四下  黔遊日記一 1     
巻五上  滇遊日記一     
巻五下  滇遊日記三 1     
巻六上  滇遊日記四 1     
巻六下  滇遊日記五 1     
巻七上  滇遊日記六 1     
巻七下  滇遊日記七 1     
巻八上  滇遊日記八 1     
巻八下  滇遊日記九 1     
巻九上  滇遊日記十 1     
巻九下  滇遊日記十一 1     
巻十上  滇遊日記十二 1     
  溯江紀源                   
巻十下 滇中花木記    随筆両則    永昌志略    近騰諸彝説略    麗江紀略   
  法王縁起    山中逸趣跋               

【最終更新:2023/5/30】