トップページ | 紅菱子について | 徐霞客とともに ―徐霞客遊記訳注― |
徐霞客と遊記 ―徐霞客資料訳注― |
徐霞客の本 ―徐霞客文献解題― |
山水を記す ―山水文学訳注― |
天台山を詠う ―天台山詩歌訳注― |
風水のこと ―地理人子須知訳注― |
山水をたずねて ―中国旅行記― |
埼玉の石ぶみ ―漢文篇― |
漢代くらいまでの中国では、人々は城壁に囲まれた都市を居住地としており、都市の外側は、人が住むことのできない非文明的なエリアであった。とりわけ山岳は、禽獣や神霊の領域であり、異界への入り口、あるいは異界そのものであった。畏れや敬いの対象であった山岳へは、山川の祭りなどの特別の宗教的儀式を除いては、人が立ち入ることはなかったといってよい。
それが六朝時代に入り、仏教の流入・道教の成立を見ると、仏者や道士たちは山に入り、そこを活動の場とするようになる。それは、奥深い深山にのみ産する特殊な鉱物や動植物等の仙薬を採集するという、現実的な要求に基づくところもあったろうが、山中という聖域における神仏との交感や、静謐な修行環境を求めるという、精神的思想的な目的によるものでもあった。
そして思想活動の場であった山岳は、やがて記述の対象とされるようになる。神仏と交わる「場」である山岳は、特別の「場所」として認識されるようになり、そこを一定の「まとまり」として捉えて記述の対象とするに至るわけである。
また長江下流に拠点を構えざるを得なかった南朝の諸王朝においては、広漠とした河北平野の景観とは異なる、緑豊かでみずみずしい江南の自然に接することを通して、「山川自然」の中に美を見いだしていく。そして韻文散文問わず、山川自然を扱う文学作品が数多く作られるようになる。中国文学の定番とも言える「自然美」は、六朝期以降の産物なのである。
そこで、本サイトでは、山川游記を中心に、山川を記し歌った文学作品を取りあげて紹介していく。
作品名 | 撰者 | 制作年 |
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封禅儀記 | 馬第伯 | 56(建武32) |